夢の中の幽霊

小説

 
 友人に話しても誰も信じてくれない。だから、あまり期待しないで聞いてほしいと思う。

 小さいころから何度も同じ夢をみることはわりとある話で、俺もそういった夢がひとつある。とはいえ、あんまりおもしろい夢じゃなくて、俺は布団で寝てるだけ。部屋は六畳くらいの和室で、真ん中で俺が寝ている以外になにもない。俺から見て左右に襖があって上下に障子があるけど、いつも閉まっていたから、その先になにがあるのかは見当がつかない。真新しい畳だからい草の匂いがするんだけど、そんな感じ部屋で俺は布団で仰向けに寝てる。

 俺は寝てるから目をつむってるんだけど、顔のすぐ左側に人の気配を感じる。よくわからないけど、俺はその人とか部屋を見ることができるの。どう言えばいいかな。頭の中でイメージしたものが、ものすごく鮮明になった感じが近いと思う。で、俺の左側には女の人が正座で座っている。髪が腰くらいまであって、前髪は眉毛の辺りで切りそろえられてる。服装は紺色の和服で、花の模様があしらってある。俺は花について詳しくないから名前はわからないけど、花びらの先が細長かったのは覚えている。年齢は大人びてるけどたぶん高校生くらい。彼女はそっと俺を覗き込むような姿勢をしていて、目は閉じたままだった。口元はうっすらと笑っていた。彼女は身じろぎひとつしないから、濡烏色の髪は彩色された陶器みたいに微動だにしなくて、よくできた人形のようにも見える。だけど、なんていうのかな、生き物の息遣いみたいな気配は感じるんだよ。はじめのころはなにかされるんじゃないかっておっかなびっくりだったけど、彼女はいつもなにもしてこなくて、それで気づくと目が覚めてて、普段通りの一日がはじまる。
 
 
 こういった話をすると、お前は幽霊に取り憑かれているんじゃないかとよく言われる。でもさ、俺は怖くないんだよ。幽霊ってもっと恐ろしいものだろ? いや、よい幽霊もいるのかもしれないけど、そもそもあれは夢なんだからなにがあっても不思議じゃないし。だから、俺は何度もみる変な夢くらいにしか考えてなかった。それに、俺には彼女が悪い人に見えなかった。俺の横で座っているときに彼女がなにを考えてるのかなんて俺にはわからないけど、ただなんとなく楽しそうにしてるみたいでさ。俺も不思議と安心できて、居心地がよかった。

 そんな夢を物心がついたときから見ていた。まあこんな話をしても気味悪がられるだけだったけど、小学生のころにお寺の娘が同級生にいて、その子だけが俺を心配してくれた。その子にいちど父親の住職さんに見てもらうように勧められたから、学校帰りにその子の実家へ行ったことがある。夢の話をすると住職さんは頷いて、本堂の脇にある離れといえばいいのか、茶室のようなところへ連れていかれた。住職さんは俺にしばらく目を瞑ってじっとしているように言った。目を開けたり声を出したりしてはいけないって言うから、俺は少し怖かった。だいたい15分くらいだったと思う。よく通る声で読経をしていた住職さんは俺の肩を叩いて、もう目を開けていいよと言った。そして、夢の中の女性について話してくれた。

 彼女は悪い人ではない。君に危害を加えることはないと思う。ただ、君が寝ているときに、君が起きているときに見たもの、感じたものを覗いているようだ。でもね、それはとても愛情に満ちたものだから、君が嫌でなければそのままにしておいたほうがいい。

 住職さんの説明を聞いて、俺は頷いた。俺は夢の女性を嫌っていなかったから、そのままでもいいと思ったんだ。彼女はテレビドラマやアニメを見るみたいに俺の生活を覗いているのか? って住職さんに聞いたらどでかい声で笑われたのを覚えている。それで、離れを出るときに入口のわきで同級生が塩の盛られたお碗をもって待っててさ。その子は父親にお碗を渡そうとしたけど、父親は手の平でそれを押し返して、その必要はないって言ってた。でも、その子はなんか納得できないみたいでじっと俺を見てた。

 そんな感じで、夢の件はとりあえずの解決をみた。少なくとも俺はそう思ってたけど、中学のときに一度だけ夢の内容が変わったことがあった。
 
 
 中学二年のときに林間学校があった。ほかの中学でもあるのかな。俺が住んでいる地域にある山の麓の宿泊施設で三泊四日の課外活動をするんだけど、内容は森の清掃や野外での炊事、レクリエーションとかキャンプファイヤーみたいなお決まりのやつ。その三日目の夜、肝試しをやることになってた。山道を歩いて、所定の場所に置いてあるスタンプを押してから帰ってくるってやつで、場所がばしょなだけに雰囲気がすごいの。実際に女子が数人泣いてた。小学生のころに世話になったお寺の娘も同じ中学だったけど、彼女は家業柄なのかその子たちを慰めてた。

 俺たちの番になって、よくつるんでいた5人組で森の中へ入っていった。行きは拍子抜けするくらいなにもなくて、配られたパンフレットにスタンプを押して来た道を引き返した。こんなもんか、つまらん、って友人の中でお調子者だった奴がつぶやいたのをきっかけに、俺たちはがやがやと騒がしく話し始めた。きっと行きは少なからず恐々と歩いていたんだと思う。話すにしても声のトーンが低かったから。だから、緊張から解放された帰り道はいつにもまして気が大きくなって、幽霊を冷やかすみたいなことを叫んで歩いてた。そんなときに、誰かが道脇に生えていた木を蹴って、たぶん大きな音をだして俺たちを驚かせようとしたんだと思う。だけど木を蹴ってもたいした音なんかでないじゃん? 梢ががさがさ震えるくらいだった。ただ、はらはらと木の葉が落ちるのが懐中電灯に照らされた、その瞬間、背後からとてつもない気配を感じた。背中とか腕とか足が総毛立って、力がうまく入らなくなるくらいの。それは俺だけじゃなくて、周りにいた連中もみんな目を丸くさせてお互いの顔を見合ってる。しばらく異様な雰囲気に押し黙ってたけど、突然ひとりが叫んだ。そうなると、もうどうしようもなくなった。伝染した恐怖に、俺たちはなにも考えることができなくなった。ただただ走って、走りながら、背後の気配が追ってきていることを感じてた。いくら走っても悪寒は消えなかった。しばらくして出発地点に戻ってきたけど、肝試しが終わった生徒は順に宿泊施設へ帰ることになっていたので人はまばらだった。数人の教師たちが慌てて帰ってきた俺たちを不思議そうに見てたけど、これから肝試しをする残りの組を怖がらせるための猿芝居だと思ったみたいだった。

 俺たちは宿舎へ戻ると、肝試しのときに感じたものについて話し合った。俺はそのころには興奮が静まってたから、誰それが一番怖がっていたとか囃し立てたりしてたと思う。次第に話題は別のことに変わって、誰も肝試しのことを話さなくなった。その日は徹夜でクラスの友人たちと話し明かしていたんだけど、まあよくある話題でさ、キャンプファイヤーのときに踊った女子のことや、お前は誰が好きなんだとか、あいつはお前に気があるとか、そういう話。

 その夜はなにごともなく明けた。帰る前にクラスで集合写真を撮ることになったから、俺は仲のよかった友人たちと肩を組んでサムズアップをした。サムズアップって伝わるかな、よくやったみたいな時に使うやつ。親指を立ててOKって感じの。それが写真を撮るときに仲間内で流行っていた仕草だった。そのあとにバスに乗って帰ったけど、家に着いた途端に体がだるくなった。前日の徹夜のせいでとても眠かったから、俺は風呂に入ってすぐに寝ようと思った。でも、風呂からでたときに母親に呼び止められてさ、なんかお寺の娘から俺に電話があったらしくて、明日の朝にお寺に来てほしいって言われたみたいなんだよ。なんだそれって思ったけど、俺はとても眠かったから生返事して自室の布団にもぐりこんですぐに寝ることにした。
 
 
 その夜、あの夢を見た。
 ああまたか、って俺は思ったけど、いつもと少し様子が違ってた。空気が湿気ているように重くて、嫌な匂いがした。それに、いつも隣にいる彼女がいなかったんだ。なにぶん初めての状況だから俺は戸惑って、周りを確認しようとした。そしたら、右の襖がわずかに開いていることに気づいてさ、その隙間から黒目が異様に大きい目が俺を覗いていたんだよ。俺はいつものように布団に寝てて、身動き一つできない。どうしようか考えてるうちに右の襖はすべて開いて、覗いてたやつが部屋に入ってきた。その姿を見たとき、とても怖かった。それは女で、髪は伸ばし放題のぼさぼさで畳の上まで垂れ下がっている。白いワンピースみたいなの着てたけど、水たまりで寝返りをうったみたいにどこもかしこも汚れてた。肌も同じようにがさがさに荒れてて汚れてる。そいつは足を引きずるようにして俺の傍まで来ると立ったまま俺を見下ろした。その顔は笑ってるけど、見ているこっちが顔をそむけたくなるような気味の悪い表情だった。一目見て普通じゃないと思った。こいつ、悪い幽霊なんじゃないかと思った。だとしたら、俺が林間学校の肝試しのときに連れてきてしまったやつなんだ。
 俺は大声で叫びたかった。でも喉に栓をされたように声が出ない。せめてこいつを見ないようにしたいけど、そもそも目を開いていない。それなのに、俺はこいつの姿から、顔から、目から逃れることができなかった。頭の中に直接流れてくる感覚なんだよ。これが続いたら、俺は頭がどうにかなってしまいそうだった。気がふれると思った。こいつはまだ俺を見下ろしている。いつ終わるかもわからない。やめてくれって心で思いながら、俺は首から下の感覚が無くなりかけているのを感じてた。
 そのとき、左の襖が派手な音を立てて開いたんだ。そこに、いつもの彼女がいた。だけど、いつもの彼女じゃなかった。表情が全然違う。いつもの柔らかな微笑とは似ても似つかないもので、眉間にしわをよせてすごく不機嫌そうだった。悪霊が顔をあげると、彼女はじっと奴を睨みつけてた。彼女が立ってるのはじめて見たんだけど、思っていたより背は低かった。当時の俺の背丈と同じくらいだったから160くらいだと思う。あと、このときやっと、夢の中の彼女は幽霊なんだって腑に落ちた気がした。俺は彼女が助けに来てくれたと思って、すごく安心したのを覚えてる。
 ふたりの幽霊は俺を挟んで動かなかったから、しばらくメンチの切り合いみたいになってた。しばらくして、悪霊のほうが口を歪めて短くて気色悪い笑い声を出したんだけど、その途端、夢の彼女は和服の裾がひるがえるのも気にせず大股で歩きだして、悪霊の左ほほを
 おもいっきりビンタした。
 100m走のスタート時の空砲みたいな、スパーンっていう小気味いい音が鳴った。
 うめき声をあげる悪霊。間髪入れず、彼女は悪霊の頬を両手で鷲掴みにして頭を固定すると
 おもいっきり頭突きした。
 すげえびっくりした。普通はさ、幽霊同士なんだから火の玉とか念力みたいな攻撃すると思うじゃん。でも実際はプロレスみたいだった。
 彼女はぎゃあぎゃあ喚く悪霊の髪を引っ掴んで右の襖の奥へ投げ飛ばすとすぐに襖をしめた。彼女の肩が一度だけ上下したけど、たぶん大きく息をはいたんだと思う。振り返った彼女は、自分が入ってきた左の襖を閉めて、身なりを確認して和服の合わせを直してた。そのころには、いつもの彼女の表情に戻っていて、穏やかな稜線の眉、そっと降ろされたまぶた、桃色のふっくらとした唇はやっぱりほほ笑んでいるように見えた。彼女はつつっと俺の左隣まできて、いつものように座った。やっと、いつもの夢になった。だけどさ、俺はいま目の前で起こったことが強く心に残っていたから、いつも以上に彼女の顔を見つめちゃって。そしたら、彼女は身じろぎして、なんだか少し恥ずかしそうにするんだよ。しだいに困ったように膝に置いた両手をゆすりだしたんだけど、俺は彼女のそんな仕草をはじめて見た。しばらく衣擦れの音が続いて、なんの拍子かに彼女の両手がピタっと止まって、すっと右手があがった。彼女は胸の辺りで不器用なサムズアップをつくって小首をかしげてみせた。
 
 
 目が覚めると、いつも通りの朝だった。俺は昨日の電話でいわれたとおり、小学生の頃に世話になったお寺へもう一度いったんだけど、お寺の入口に狛犬が二体あってその右側にお寺の娘が寄りかかって待っててくれた。彼女は俺を見ると目を皿のようにして驚いたけど、すぐに住職さんのところへ連れて行ってくれた。前と同じ離れに通された俺は、昨夜の話の一部始終を住職さんへ伝えた。そしたら、住職さんはこんな話をした。

 君は良くない霊を持って帰ってきてしまったようだけど、もう心配はいらないよ。君が言ったように、夢の中の彼女が追い払ってくれたみたいだ。ただね、私はまえに彼女は君に危害を加えないと言ったけれど、少しばかりちょっかいを出しているかもしれない。それは危害と呼べるほどのものじゃないけれど、もしも君が気になるようなら私に相談しなさい。

 俺は頷いた。だけど、彼女が俺に危害を加えたことについて思い当たることはなかった。離れから出ると、また前と同じように寺の娘が塩のはいった碗を持って待ってた。彼女は俺が住職さんから言われたおおよそのことを把握しているみたいでさ、あなたに悪霊が憑りついているとわかったときすぐに声をかけられなくてごめんなさいって言うんだ。俺は興味本位で、気にしてないけどどうしてすぐに声をかけなかったのか聞いてみた。そしたら、彼女は拗ねたように俺のすこし左側を見てこう言うの。
 だって、話しかけられないんだよ。いつもタイミングよく別の人に話しかけられたり、今だって思って近づくと鞄とか落としちゃうから拾ってたらもう君が他の人と話してたり、なんか物音するからそっち見てたら君はいなかったり。林間学校のキャンプファイヤーのときだって話しかけようと思ったのに靴紐が切れたんだよ。しかも両足。
 なんかすごい怒ってるみたいだったから、俺はたじろいでしまった。だけど、キャンプファイヤーのときは話しかける必要ないだろ。だって、悪霊に取りつかれたのは次の日の肝試しの時だろって。そう言うと、彼女はうるさいっと叫んでお碗のなかの塩を俺に投げつけてきたから走って逃げた。
 
 
 俺はいまでも同じ夢を見る。夢の中の彼女はいつもと変わらない。濡烏色の艶やかな髪、律儀そうに膝で重ね合わせた両の手、紺色で花柄の和服、ふせた瞼とやさしい口元。俺の左側で飽きずにいつも座ってる。

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