アメリカの蓮華

小説

 
 私は旅行代理店で働いている。新卒で入社してから3年経ち、仕事にもスーツにもだいぶ慣れてきたと思う。だけどハイヒールだけは履き慣れなかったので、底の平らなビジネスシューズを履くことにしている。
 私は毎日朝6時に起きて、身支度をしてから朝食を済ませ家を出る。小さな商店街を通り、最寄りの駅へ着くと電車で2駅揺られ、下車後に駅の北口を抜けてすぐにあまりぱっとしない旅行代理店がある。そこが私の職場だ。いまの生活に不満はないけれど、なんだか決まった毎日を繰り返しているように感じることがある。友人と休日が合わないことも多くなり、外出する機会も減ってしまった。だから私は少しマンネリを感じていた。
 4月のはじめに新入社員の女の子が配属され、私が面倒を見ることになった。彼女はとても素直な子で、好感が持てた。だから、私は無理のないのようにしっかりと指導しようと心に決めて、勝手にやる気を出していた。この子の成長は私の手にかかっているのだ。そう思っていた。
 意外に感じたのは、他人に教えることは自分が覚えることよりも難しいということだった。私は過去に誰かへ何かを教えたことがないという事実に、その時はじめて気づいた。なんとなくこなしていた作業を彼女に説明するだけなのだが、頭の中でしっかり整理されていないとうまく言葉にすることができなかった。また、なぜこの作業が必要なのか? ということを伝えようとすると自分でもよく理解していないこともあった。私は仕事が終わり自宅に着くと、彼女に覚えてもらいたいことをチェックして、どう伝えたらよいのかをノートに書きだすようにした。我ながらマメな奴だと思うけど、こういう性格なのだからしょうがない。その点はもう諦めている。そのため、4月半ばを過ぎたころ、私は不慣れな新人教育のためくたくたになっていた。


 その日も会社を出るころにはぐったりと疲れていた。接客を伴う業務であるため社内で疲れた顔なんてできないし、ましてや後輩にそんな姿を見せたくない。だから、帰宅するときになるとそれまで気を張っていたものがふわっとほぐされるように、全身から力が抜けたような感じがした。
 出社時と同じように電車に揺られ、私は自宅へ向かうために商店街を歩いた。時刻は夕暮れ時で、商店街は買い物をすませた主婦たちの姿があった。知り合いを見つけて井戸端会議をしている人たちがいて、談笑している声が私の耳にも届いてくる。私はなんとなく、ああこの人たちは私と違う生活をしているのだなと、すこし寂しい気持ちになった。
 そんなときに、車道を挟んだ向かいにある花屋の店先に目を奪われた。そこにはバケツに無造作に束ねられたレンゲの花がささっていた。淡いピンク色の可愛らしい花の中に、ひとつだけ、黄色いレンゲがあったのだ。
 アメリカのレンゲ!
 と、心が自然と声をあげた。
 びっくりした。それは私の意識とは別のところから叫ばれた言葉だった。しばらく唖然としながら黄色いレンゲの花を見つめていたと思う。私は「アメリカのレンゲ」の意味を知っている。
 私の実家の周りには田んぼがたくさんあった。その田んぼは、春先になるとレンゲ畑へと姿をかえる。これは後から知ったことだが、農家の人が稲刈りを終えたあとに敢えてレンゲの種を植え、花が咲き枯れた後そのままにしておくことで肥料として活用していたようだ。しかし、子供の頃の私は、どこからか種が飛んできて咲いているものだと思っていた。四角に区切られたピンク色の絨毯はとても綺麗で、風にそよぐと水面のようにさわさわと揺れていた。私は友達と一緒にレンゲ畑にはいって花を摘んで遊んでいたが、ふと偶然に黄色のレンゲを見つけた。その黄色のレンゲを囲み、友達といっしょに話し合いがはじまった。いま思えば恥ずかしい話だが、当時は家電でも食品調味料でも海外製品のものが珍しく、そのため目新しいものを見つけると「アメリカの」と付けて私たちは呼んでいた。べつにイタリアでもフランスでもよいのだが、当時はアメリカ製のものがもてはやされていた背景があった。そのため、私たちは黄色のレンゲを「アメリカのレンゲ」と呼ぶこと決めたのだった。
 懐かしいな、そんなこともあったな、と私はしばらく立ちつくしていた。どのくらいそうしていたのかはわからないが、私がはっと我に返ったのは店先で作業をしていた店員の姿が目に映ったからだった。
 花屋の店員はレンゲの入ったバケツに近づくと、黄色いレンゲをすっと一本手に取って新聞紙に包んだ。茎のあたりを輪ゴムで止めたあと、車道を小走りで横切って私の前に来ると
「よかったら、どうぞ」と、幾分ぶっきらぼうに腕を突き出した。
 彼はブリーチした短髪で、店のエプロンの下は黒のTシャツに使い古されたジーンズという服装だった。花屋の社員がどのような服装をしているのか、私はよく知らなかった。彼はずいぶんと若く見えるしバイトかもしれない。大学生にも見えるし、高校生といっても通りそうな気がする。
 私は突然のことに動揺したが
「いえ、そんな。タダでなんていただけません」と彼に言った。
 彼は少し伏し目がちに
「いいんだよ。こいつら花束つくるときに使うんですけど、これ、他のと色が違うし、だからどうせ使わないと思うから」
 私は受け取るべきか迷った。タダより高いものはないっておばあちゃんが言っていた。
 けど、結局私は「じゃあ、お言葉に甘えて」と、彼の差し出した黄色いレンゲを受け取った。そして彼に「ありがとう」と言ってほほ笑んだ。そのとき、仕事のときよりもずっと自然に笑えたことに自分で驚いてしまった。
「別に、あんた最近疲れてそうだったし。どうせ捨てるんなら、誰かに見てもらったほうがこいつもうれしいだろうから」
 そう言って、彼は花屋へ戻っていった。


 私は家に帰って花瓶を探した。しかし残念ながら花瓶は見つからなかった。それも当然のことで、私は一度も花を飾ったことがないのだ。仕方なく昨日使い終わったリンスの空容器にレンゲを生けて、リビングのテーブルに飾ってみた。
 うん、悪くない。
 と、ひとり満足して黄色い花弁をそっと撫でてみる。
 私はこの花を誰かに見てもらいたくなり、スマホで写真を撮ると母へ送信することにした。すると五分後に母から「アメリカのレンゲ!」という短い返信があった。
 私は不思議に思った。どうして母がアメリカのレンゲという呼び方を知っているのだろう?
 そのことを母に尋ねてみると「あなたが子供の頃に、私にくれたじゃない。これはアメリカのレンゲで、とても大切なものだからお母さんにあげるって」とのこと。私はそのことをすっかり忘れていた。ああ、そうか。あの時も私は母にアメリカのレンゲを見せていたんだなと、まるで同じことを繰り返している自分がおかしくて笑ってしまった。そのあと私は久しぶりに母へ電話をかけ、最近のことを話した。母は仕事のことや、友人関係について私に尋ねた。月並みな質問であったが、私はなにも心配ないと応える。私も実家でなにか変わったことはないかと母へ訊いてみると「なにも変わりはないから、あなたは自分のことだけ考えてがんばんなさい」と私に言った。


 私はお風呂に入り髪を乾かした。化粧水をつけ終えると、軽いストレッチをして体の強張りを丹念に取り除いていく。その後、後輩に教えることをチェックしているときに、今度彼女を遊びに誘ってみようと思った。それは素敵な思いつきだった。
 私はベットにもぐりこみ、アメリカのレンゲについて思い返してみた。
 今日、私にアメリカのレンゲを渡してくれた人。そうだ、私は彼を以前から知っている。朝の出社のとき、私はあの花屋の前を毎朝通るじゃないか。彼は店先でよく水仕事をしていて、私はなにげなく「おはようございます」と挨拶をしていた。無意識にやっていたことだからいまいち自信がないけれど、彼はいつも決まってうつむきがちに会釈していたと思う。
 そうか、あの彼だったんだと気づいたときに、私は日々多くのことを見落としているのだなと思った。
 明日、少し早く家を出て、もし彼が店先で仕事をしていたら、もう一度お礼を言おう。
 それで、アメリカのレンゲの話もしてみよう。
 でも、それって迷惑かな?
 まあいいか。もし明日、彼に会えたら話してみよう。

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