神道とは? -仏教となにが違うのか、日本神話を基にした宗教-

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はじめに

幼いころ、神社とお寺の違いがよくわかっていませんでした。お寺が葬式をやるところで、神社は初詣に行くこところ。そのくらいの知識だったのですが、いまは違う神様を祀ってるというのは理解しています。お寺は仏教、じゃあ神社は? と訊かれると答えは”神道”となるのでしょうが、その神道ってのがよくわからない。

じゃあ調べてみようと思ったのですが、これがなかなか難解複雑。成り立ちや日本での扱い、はたまた一時期”神仏習合”なんてことになっており仏教とごちゃまぜになっていたりと調べれば調べるほどさらに調べなければならないことが増えてしまった。
ということで、一度にすべて調べるのを放棄して、まずは浅い知識での神道とはなんぞやを書いていきます。

神道とは?

あばさー – 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=84236629による

日本独自の宗教です。しかし、仏教やキリスト教のように開祖はいませんし、聖典や教えの類もありません。神道は、日本神話や祖霊崇拝、自然に基づくアニミズム的(すべてのものに霊魂が宿る的)な考えのもとに自然発生した宗教です。開祖がいない自然発生という点ではバラモン教(ヒンドゥー教)に近いのかもしれません。

また、聖典という位置づけでは”古事記”や”日本書紀”などの古典がそれと呼べるかもしれません。これら古典は日本の歴史を記したものですが、神様が出てくるあたりファンタジー作品なんですよね。すべてが嘘とは言えませんが、現代では「そんなのありえないじゃん」という事柄が多いのも事実。それらに登場する神様たちを崇拝しているのが神道です。
が、欲張りな日本人はそれだけでは満足できなかったようです。学問の神様と呼ばれる”菅原道真”、首塚で有名な”平将門”など、ある分野や地域に多く貢献した人間を死後に神様にしてしまうこともあります。または、祟りを鎮めようとして神様にしてたりとか。これは祖霊崇拝の考え方も影響しているかもしれません。

その他、八百万の神というだけのことはあり、ありとあらゆるものが神様になっていたりします。これは民族宗教的なことが原因だと思うのですが、開祖や教典のない神道は統制がとれておらず、各地域の風土に絡んだ独自の風習、祭祀などが発生したためです。そのため、明治初期までは土着信仰などが多く残っていたみたい。余談ですが、土着信仰は私の大好物です。

神道はいつからあったの?

神とは自然と一体、神と人を結びつけるために行う作法が祭祀、それを行う場所が神社。
では、神道はいつからあったのか?
諸説ありますが飛鳥時代(592~710年)ではないかと言われています。とはいえ、前述のとおり土着的な民族宗教という側面もあり、地域によってその形態は様々であったのではと思われます。

この頃は”祭政一致”というものがあり、簡単にいえば宗教と政治を一緒にして国(村)を運営していきましょうね、ということ。この考え方は武家などの勢力が増した室町から江戸時代には、政治を行うのは将軍家となったことから一旦は終焉を迎えます。

神道と仏教がごちゃまぜにされた

奈良時代になると、日本に仏教が伝来しました。この宗教が日本で広く浸透したのは言うまでもありませんが、その陰で大変なことが起こっていました。もともとあった神道に仏教の要素がブレンドされてしまったのです。もしくは、仏教に神道が混ざってしまったというケースもあったようで、神社に仏像があったり寺院に神体があったりと、もうはちゃめちゃ。”神仏習合”と呼ばれる事態になってしまったのです。これらは長い年月をかけて進行した事象であり、先に述べたように明確な教典や教えを持たない宗教に、新たに伝来した宗教の要素が加えられることは間々あるようです。そのため、非常にわかりづらいことになっていたのですが、出雲大社などは古くから神道を保護していたようです。

明治政府が行った祭政一致への企て

さて時の頃は明治初期、いわゆる”文明開化”の時代です。
江戸時代まで藩統治を行っていましたが、これをどうにかして中央管理したいと考えた明治政府は”神道”を用いて国民を同調させようと企てます。つまりは”祭政一致”の復活です。神道とは言い換えれば日本古来の神々の歴史であり、その子孫であるのは皇族ですので”王政復古”ということになります。では神道を国家宗教にしてしまえば、国民の足並みが揃い、政治を行いやすいと考えたのです。その際に、各地で神道と仏教、はては神社と寺院が合わさったような状況であったため、政府は神道と仏教を明確に分けるために”神仏分離令”を発令します。七か条からなるこの取り決めにより、神道と仏教は今の形に近づきました。しかし、まあそんなにすんなりとことが進むはずがありません。この”神仏分離令”は決して”廃仏毀釈”ではなかったのですが、勘違いした人々が寺院にあった歴史的にも文化的にも価値のある貴重な文物を壊し打ち捨てるという事態が起こりました。その後も神道の派閥やらなんやらが出てきて面倒なことになったり、布教がうまくできなかったりと問題続き。ついに明治政府は”祭政一致”を諦めてしまいます。さらには「神道は宗教じゃない」とか言う始末。まあ、これには近代国家における宗教の自由を認めるためもあったようです。

とはいえ、皇室の中心とした政治を行うためには他の宗教と神道を並べてはどうにも具合が悪い。なので神道の派閥の中でも皇室の祖先の神様にあたる天照大御神を祀る伊勢神宮を中心とした神道を、他の神道と区別して管理しおり、これを”国家神道”と呼びます。この言葉、第二次世界大戦に敗戦後の日本に駐在した連合国最高司令官総司令部(通称GHQ)の神道指令においてはじめて国民にその名が知られたという経緯があり、どうにも闇深い感じがします。気のせいかな。
ということで、神道国教化は失敗となったということなのですが、この部分は調べるほどに興味深く、後日にまた調査したいなといったところ。

おわりに

まだまだ書き足りないのですが、一旦ここまでにしたいと思います。せめて神道の分類はと思ったのですが、勝手ながらそれはまた日を改めてということにします。昨今、いろんな媒体で神様が登場していたりしますが、それって日本だからできることなのかもしれませんね。なかには偶像崇拝を禁止している場合とかありますから。そういった点では、日本はおおらかでよい国ですね。いやちょっとびびってたのね。宗教について書くの。

では、機会があればまた。

神道 – Wikipedia

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