とある先輩に言われたこと -恩返しの作法-

私は物覚えがあまりよくない。とくに人の名前を覚えるのが苦手で、半年くらい会っていないと思い出せないことが多いし、一年会っていないと絶望的です。人の名前だけじゃないかな。なんかこれ覚えておきたいなぁと思ったことでも、数日後には忘れていたりします。だから大事なことはメモを取るようにしているけど、それが億劫に感じて仕方がない。でも、まあ、しょうがない、そういうポンコツ脳なのだ。
思い返してみれば、学生の頃の学力テストだって一夜漬けで乗り切っていたし、私のポンコツ脳は反復しないことについてはゴミ情報と判断して、ぽいぽい投げ捨てるシステムが搭載されているのだ。それについては不便なこともあれば便利なこともあるので、一概に欠点とはいえないかな。

私は大学生のころに音楽サークルに所属していました。あれはまだ大学〇年の頃、その日はライブ終わりに毎回行われる飲み会に参加し、それほど酒に強くない私は酩酊しながら電車に乗りました。車内は終電が近いこともありほかの乗客もおらず、同じサークルの仲間達とくだらないことを話していたことかと思います。
大学の最寄り駅で降り、皆は大学にある部室棟へと歩き出します。というのも、大学にはスタジオが2つありまして、我々は大抵の場合そこで寝て酔いをさましてから夜明けに帰るという習性を持っていたのです。または飲み足りない酒豪はコンビニでブツを仕入れて飲みなおしたりしていました。

私と数人の同期はコンビニへ入ると、そこにとある先輩がいました。Kさんとします。
Kさんはとてものんびりと話す方で、背が高く色白でした。私は一緒にバンドを組んだこともあり、その優しさや、それゆえに物事を強く主張できない性格を含めてなお好意をもっていました。そんなKさんなのですが、私たち気が付くと「アイスを奢ってやるから選んでこい」と言いました。
バイトをしていたとはいえ貧乏学生であった私たちは、コンビニのクーラーボックスから1つアイスを選び先輩と一緒にレジに並びました。
季節は夏。コンビニの前で、肌にまとわりつくような湿気を感じながら冷えたアイスを食べました。私たちはKさんに「ありがとうございます」と礼を述べます。するとKさんは「いいよ、俺も昔は先輩によく奢ってもらったから」と言います。

「〇〇さんとか□□さんとかさ、昔よく俺にアイス奢ってくれたんだ。だからさ、お前たちに後輩ができたら同じように奢ってあげな。俺もそう言われたし、お前たちもそうしな」

私の頭はこの会話を『とっておきフォルダ』へ格納しているため、いまでも覚えています。そして、私に後輩ができたときに、Kさんに言われたようにアイスを奢ってあげたのです。その時だって貧乏学生でしたが、もう意地です。どんなに財布がぺちゃんこだったとしても奢りました。不思議なことに、そのことを惜しむ気持ちはまったくありませんでした。

たぶん、私が受けた恩は、Kさんに恩返しできるようなものではなかったのです。別の機会に私がKさんにアイスを奢ることができたとしても、あのとき私が受けた恩の半分も返せないでしょうし、これは、かならずと言えるのですが、仮に私がKさんにアイスを奢るといってもKさんは断ります。
Kさんが後輩(私たち)に与えた恩情は、私が私の後輩に与えることでしか返すことができない類だったのです。恩返しとは、なにも受けた本人へ行うだけのものではなかったのです。

この話を思い出すたびに、人と人との繋がりに思いを馳せます。
たとえばですよ? もし私が与えた恩情を受け取った人が次の人へ与え、その人がまた次の人へ、そのまた次の人へ…。そう考えると、遠い祖先の人々の心がいまの生活にも残っているんじゃないかと思うのです。昔を生きた人々の情が、人々を介して繋がっているのかな。それが歴史になるのかな。とかなんとか考えたりします。たまにね。

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